大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

長野地方裁判所佐久支部 昭和43年(わ)40号 判決 1969年4月18日

主文

被告人は無罪。

理由

一本件公訴事実の要旨は「被告人は、昭和四三年七月七日施行の参議院議員選挙に際し全国区から立候補した岩間正男、地方区から立候補した菊池謙一の選挙運動者であるが、右両候補者に投票を得しめる目的をもつて、同年六月二五日頃から同月三〇日頃までの間、選挙人三一名を戸々に訪問し、各戸に「菊池岩間後援会加入のよびかけ」の標題の法定外選挙運動文書であるビラを各一枚宛配付するとともに両候補者のための投票を依頼し、もつて法定外選挙運動文書を頒布するとともに戸別訪問をした」というのである。右が公職選挙法一三八条一項「何人も選挙に関し、投票を得若しくは得しめ又は得しめない目的をもつて戸別訪問をすることができない。」同法一四二条一項「選挙運動のために使用する文書図画は、左の各号に規定する通常葉書の外は、頒布することができない。(以下略)」の違反として同法二三九条三号、二四三条三号の処罰規定に問われているものである。

二当公判廷で取調べた証拠によれば、右公訴事実とほぼ同旨の事実が認められる。その典型的な態様は、菊池謙一岩間正男両候補者の写真経歴決意などを掲げた「菊池岩間後援会加入のよびかけ」と題するビラを、多くは「民主長野」「赤旗号外」とともに「これをよく読んでみて下さい、よろしく」と述べて手渡し、一部では「この二人にお願いする」旨付加したもので、訪問先の過半は顔見知りであり、訪問時間は数分から十数分程度と認められる。

三右のように本件で問われている被告人の行為は、候補者の経歴、政見、所属政党の政策等を伝えて投票を期待する選挙運動であり、その言論の形式であつた戸別訪問文書頒布である公職選挙法の前記規定は右の形式による選挙における言論の自由を制限するものにほかならないから、右規定と憲法二一条一項の保障する言論表現の自由との関係が問題となる。当裁判所は、つぎに述べる理由により、公職選挙法の前記規定は憲法二一条一項に違反し無効であると考える。

(一)  言論の自由は憲法によつて保障される基本的人権の一つであり、なかでも参政権にかかわる言論の自由は、国民が主権者である民主主義社会において、もつとも重要な役割を果すものである。言論の自由といえども無制約の自由ではなく、その形式内容に合理的な制限があり得るものではあるが、これが基本的人権といわれるのは、単に政策的利便による制限は許されず、他の基本的人権に重大な害悪を生じる危険の存する場合(これを公共の福祉ということもできる)に限り合理的な制限として許されるところにあると解される。

(二)  まず戸別訪問の利害を検討する。選挙運動における戸別訪問の害悪として挙げられるところは、(イ)選挙の自由公正をくつがえす買収、利益誘導、威迫などの不正行為の温床となる、(ロ)情緒、義理人情に訴える傾向を助長し理性的公正な判断を害する、(ハ)候補者に無限の競争を強い、煩に堪えなくする、(ニ)選挙人の生活の平静を阻害する、などのおそれであろう。右のうち、(ハ)は候補者とつての利便の問題に過ぎず(まして運動員や選挙人の戸別訪問をも禁止する理由にならない)、(ニ)は、訪問の時間、方法などが公職選挙法、刑法などによる合理的制限に服することを考えると、多少の迷惑の程度に止まり、後記の積極的な意味と対比すれば忍容すべき範囲と言えるので、ともに重大な害悪と言うに足りない。(ロ)は、すべて説得活動には感情に訴える側面と理性に訴える側面があるのに、その消極的のみを過大視するものである。戸別訪問が消極面を特に助長すると判断すべき根拠はない。(イ)の買収、利益誘導、威迫などの不正行為は言論の自由の範囲外であり重大な害悪というに足りる。しかし戸別訪問自体はこれら不正行為と異り、これらと密接不可分なものと言えないし、高い確率でこれら不正行為を随伴するということも明らかでない。また戸別訪問を禁止するほかにこれらの害悪を防止する手段がないという明らかな根拠もないのである。

一方、戸別訪問は選挙人の生活の場で、候補者と選挙人運動員と選挙人、および選挙人同士の個々の直接の対話により、判断の材料を提供し、これを検討し、相互に批判する機会を与えるものであり、もつとも生活に密着した誰にでも可能な選挙運動であることと合せて、見解の一方的伝達に終り勝ちな他の選挙運動をもつては代えにくい長所を持つている。国民の政治に対する深い理解と関心によつて成り立つべき民主主義社会において、右の長所は無視できないものであり、多少の迷惑や偶伴する害悪をもつて、戸別訪問一般を禁止すべき重大な害悪ということはできないと考える。

(三)  次に文書頒布の利害を検討する。選挙運動における文書頒布の害悪として考えられるのは、(イ)多額の経費を要し、経済上の不公正をもたらす、(ロ)無責任、悪意の内容の文書を横行させる、などのおそれであろう。文書の作製には相当の経費を要することは自明であり、その結果もし富が選挙を左右するならば重大な害悪ということができ、また無責任な中傷誹毀の文書の横行も選挙の公正を害する重大な害悪ということができる。しかし文書の頒布の自由がこのような害悪を必然的に伴うと言うものでもなく、文書頒布を極度に制限しなければこのような害悪を防止する手段がないということもできない。(選挙関係文書については、必ず発行者、団体、責任者、部数、印刷所などを明示させるなどの方法が考えられる。)文書による選挙運動には、政見や推薦理由を詳細かつ論理的に説明し説得し、これによつて選挙人は詳細かつ理性的な判断の材料を得る長所がありそのためには通常葉書では十分であるまい。伴うことのありうる害悪に対しては他に防止する適切な手段があり、しかもそれ自体には大きな長所があるのであるから、前記害悪のおそれも、文書頒布をすべて禁止する合理的理由ということはできない。

(四)  公職選挙法一三八条一項が具体的な害悪の如何を問わずすべての戸別訪問を無差別に禁止しているものであること、同法一四二条一項が通常葉書外の選挙運動文書頒布を同様に禁止しているものであることは、ともに文言上明らかである。

したがつて右両規定はともに憲法二一条一項に違反し無効である。

四よつて本件は罪とならず、被告人は無罪であるから、刑事訴訟法三三六条により主文のとおり判決する。

(花田政道)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例